読みたくて買ったのに、読まないまま積んでしまう本たち

──それでも私は、本を手放せない

私は本を読むのが好きです。
ページをめくって、物語の世界に入っていくと、
自分のまわりの音や現実がすこしずつ遠ざかっていくようで、
ほっとする瞬間があります。

けれど最近は、読むよりも「買う」ことの方が多くなりました。

読みたいと思って買った本が、いつの間にか本棚や机の上に積まれていく。
「これは絶対面白い」と思って手に取ったはずなのに、
ページを開かないまま、日だけが過ぎていきます。


本屋に行くと、私はなぜか安心します

休日や帰り道、ちょっと疲れている日でも、
本屋さんに立ち寄ると、なんとなく気持ちが落ち着きます。

そこにあるたくさんの本たち――並んだ背表紙を眺めているだけで、
自分が世界のどこかにつながっている気がしてくるんです。

本の帯、タイトルの響き、表紙の色。
どれもが「今の私に必要かもしれない」と思わせてくるから不思議です。

1冊、手に取ってみる。
少しだけ中を読んでみる。
レジへ持っていく。
そして帰って、積む。

……はい、また積んでしまいました。


読まないつもりで買ったわけじゃないんです

読もうと思って買っているんです。
本当に、読もうと思って。

でも、ページを開こうとして「今は無理だ」と思ってしまうときがある。
理由は特にないけれど、心が本の言葉を受け止めきれない感じがする日。
文字が目に入っても頭に入ってこない、そんな日。

少し重たいテーマの本だと、今の自分にはしんどいかもしれないと感じたり、
集中力が持たないことがわかっていて、読みはじめるのが怖くなったり。

そんなふうにして、「あとで読もう」がどんどん積み重なっていきます。


積まれた本に囲まれて過ごす毎日

本棚の上、机のはし、ベッドの横。
読みかけのままの本や、帯も取らずに積まれている新刊たちが、私のまわりに静かに並んでいます。

一見すると「片づけてないだけ」に見えるかもしれません。
でも私にとっては、それもちゃんとした“居場所”なんです。

誰かの声ではなく、本の言葉に囲まれている空間。
たとえ読んでいなくても、「ここにあってくれるだけでいい」と思える本たち。

それぞれの表紙を見るたびに、「あのとき、この本にひかれたんだな」と思い出す。
その記憶が、心をあたためてくれるときがあります。


積読(つんどく)という言葉があることに救われた

“積んでおく読書”――積読(つんどく)。

本当にうまい言葉だなと思います。

「まだ読んでないのに買うなんて無駄」と言われそうな行動に、
ちゃんと名前がついているというだけで、私はなんだか救われました。

読まなくても、その本は私の中に“存在している”。
たとえ今じゃなくても、「いつか読むかもしれない自分」がいる。
そう思えるだけで、本を持っている意味が生まれる気がします。


私が“積んだまま”にしている本たちのこと

ちなみに、最近積んでいる本をいくつかご紹介すると――

  • 湊かなえ『人間標本』

松村涼哉『15歳のテロリスト』

山田悠介『レンタルチルドレン』

どれも「読んだら絶対面白い」とわかっているのに、まだ読めていません。
でも、こうして積まれているだけで、少し気持ちが軽くなるんです。本がそこにあるだけで、「私はまだ何かに出会えるかもしれない」と思わせてくれるから。


本は、読まれるためだけにあるものじゃないと思う

もちろん、本は読まれてこそ意味がある。
それは間違いではないと思います。

でも、読まれていない本にも、意味はあると思っています。

誰にも読まれていなくても、
持っている人の気持ちにそっと寄り添ってくれる。
そういう存在として、本がそこにいてくれていること。

私は、それだけで十分だと思っています。


おわりに

私は、今日もきっとまた本を買います。
読み切っていない本が何冊もあるのに、それでもまた一冊、手に取ってしまう。

それはきっと、**「未来の自分を信じている」**ということなのかもしれません。
「いつか読む日がくる」と思っている。
だから、積まれていくことを恐れずに、今日もまた1冊増える。

たとえ読まなくても、その本が私のそばにある限り、
私はきっと、大丈夫だと思えるから

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